観劇日記 狂人教育 演劇実験室万有引力

万有引力の『狂人教育』を観てから何日か経つのですが、今頃になって震えがきました。

『狂人教育』は寺山作品の中でもわりとわかりやすい話だったと思います。しかしながらいくつか腑に落ちない部分もあり、それを1つ1つ自分なりに解いていくと怖いことや驚嘆して今更余韻を感じてます。


今回の物語は人形とそれを操る人間の話で、舞台上のビジュアルや物語の内容に圧倒されてスルーしてきたのですが。
改めて考えると「もっと仕掛けがあるはず」なのです。もっと奥に深い何か。


スズナリに着くと席順に並ばされました。寒いなか外には行列ができて、会場のトイレは使えないとのこと。指定席なのに何故?と思いましたが、通路が狭いためと説明されました。

なるほど。確かに狭い。しかし全然快適じゃない!

開場と開演が同時刻で、入場した時にはもう舞台上では始まっていました。
しかし万有引力は大体そうで、開演前でも舞台上には何人かいて飽きません。

「いつもと同じ···?」


だけど何かが違う。なんか変!と思ったのは観終わってから数日経ったあとのことでした。いろいろ考えた末、行き着いた先は、「最初っから仕組まれてた」ということです。


開場と開演が同時っていうのは客が入ることも劇の一部ってことで。私達はまんまと操られて人形にさせられてたんですね。きちんと整列して客席が前の列から順に埋まっていくサマをみて、上で糸を引っ張ってる人はさぞかし滑稽だと思ってたんでしょうね。
そして終演後も放心状態の人形たちがまた一列になってぞろぞろと出ていくっていう。

 


私たちには自覚がなくても、本当は誰かに操られているのかもしれない、という事を今さら体感できました。
個性とキチガイの境目。列から外れる者は非難され、そんなのオカシイと叫んでると壊される。沈黙が平和でしかし同じ人形はいらないと壊される。

 


人形たちは人間に操られていることを知っていて、一番まともな(だと思われる)蘭ちゃんがキチガイにされ、蘭ちゃんを操っているのは人間で、そいつも誰かに操られている人形で。なんだかぐるぐると永遠に終わらない螺旋です。

 


でも哲学は苦手なので考えることを放棄したいと思います。でもたまに、迷いに行きたくなることもあるんです。


次も楽しみです。

f:id:h324:20181120234855j:image