本当は浮かぶより沈んでいたい
うつ病になってからは、あんまり深く考えないようにすぐに気持ちを切り換えるようにしている。一瞬深く落ちるのだが、意識して考えないようにする。他のことを考えるのではなく、『何も考えない』のだ。
その結果かどうかはわからないが、浅い人間になってしまったのではないかと感じてしまう。深く考えないから。
映画を観ても美術館に行っても、誰も救われないような残酷さでも少し心が痛むくらいで、回復するのも早い。
以前なら2、3日は考えてたのに、今では30分だ。随分と簡単な人間になってしまったものだ。
先日、知り合いと映画の話をしたのだが、やっぱりその人も同じだと言うのだ。歳のせいだろうか。耐性がつくのだろうか。
なんというか。
いつまでもフレッシュでいたいのではないが(少しはフレッシュでいたいのが本心だが)、深い所まで落ちてしばらく這い上がって来れないくらいの『美』がほしい。
落ち込むことと深く考えることは違うのだが、ワタシにとっては同じ道を一緒に歩く他人のような感覚なので
安堵感、気まずさ、馴染みの、仲間、でも他人、のような切り離せないのが何とも。
なんらもなー
写真は、先日行ったフェルメールのリ・クリエイト。本物ではない。
元気と不安はどこから来るのか
近頃なんだか疲れてます。
休みの日にリセット(一日中寝る酒飲んでまた寝る)をしないとチカラが入らないワタシなのですが、それが出来てません。
うゎーーーってなったので『早めに寝る』を実践しました。睡眠時間が増えてきたら徐々に回復。寝れば治るワタシは簡単に出来ています。
するとどうでしょう。少し回復してきたあたりで、不安になりました。回復しているものの全快ではなく中途半端な状態。しかも仕事中に眠くなったりスイッチが入らなかったりダルかったり。気持ちも不安定で晴れません。
今回の一番ツライ状態のときは、神経張りつめてギリギリとこなしていましたが、それが崩れたというか。
以前うつ状態になってた時期があり、その頃に戻りたくない一心で気持ちの調節はしてきたつもりですが、出来ない時もあり。それはそれでそんな日もあるーと無理もしなくなりました。
そんな時に、まさにタイムリーな記事をみました。
『自殺者が自殺する時はどん底まで落ちてチカラが入らなくなった時と思われがちだが、実は底から少し上がった時』
本気の『なるほど!』がでました。
いま、少しだけ、言葉にはできない何かが分かって染み込んできた気がします。
だから何ってこともないのですが、少しだけ、寄り添えたかんじがしました。
ミドリの居場所
古い公民館や古い厨房なんか特にそうですが、床が緑色なんです。その古くささが本当に嫌いで(笑)
テルプシコールという劇場に行きました。
外には人形のような可愛らしい女、狭い入口を通り受付には妖怪のように美しい黒髪の女。
靴を脱いであがりロビーという名の小さな部屋に通されました。明るいのに暗さを出している蛍光灯。すすけたベロアのソファーに座る社会人に思えない男達。麻雀の卓を広げたような緑色のカーペット。オダギリジョーでも居たら似合いそうな空間、でも居るのは人の良さそうなパンチパーマの主宰。
この空間の場合、床はこのドギツイ緑色でなくてはならないのだと思いました。昭和レトロ。ボルドーよりいやらしくない高級感。
センス次第で緑の床もいいものだと思いました。
でもやっぱ厨房の緑は嫌い。
アルフォンス・ミュシャ
『きっかけなんてそんなもの』
去年サロンで髪を切ってもらっている最中に、暇すぎて店内に飾ってあるミュシャの絵を見つけてしまいました。
これって・・・と尋ねると、店長曰く「本物」だそうで。
なんで青森のサロンにミュシャの絵が。床に置いとくなんて本物にしては扱いが雑である。
というわけで「本物の偽物」だと思っている、どーもワタシです。
そんなことを思い出したので、半年前になりますがミュシャ展に行ってきました。
戦争の悲劇と希望を描いたもので、とっても綺麗でした。ポスター用に書かれた絵もタロットカードのようで可愛らしかったー。
写真撮ってもいいコーナーがあり、嬉しいかぎりです。
ところでミュシャの絵にすっかり酔いしれてしまったワタシなので、サロンの絵も本物だと思いこもうと思います。
絵の観覧料にカットもついてくるなんて、お得です。
カミサマ
美の象徴としての女神ヴィーナス。これは人間が勝手に『美しさの神』を擬人化しただけなので、人によっては何にでも当てはまるし形として存在しないのかもしれない。
ヴィーナスの息子キューピッドもまた同じ。
こないだ行った美術館で観たヴィーナスの絵。ヴィーナスの前に男達が列をなし、美しさに惑わされてキューピッドの矢に射たれた男は破滅を迎えるという。
逆にキューピッドの矢を免れた者はイバラの道を行くが最期に大きな名誉に恵まれるのだと。
神とは一体何なのだろ。母と息子が手を組んで破滅に導く。私の想像してた神様とは違いすぎて、なんか。
『キューピッドとプシケー』という絵本を読んだ。ここでもヴィーナスは意地悪な役で、自分より美しいプシケーに嫉妬する。息子のキューピッドに、プシケーが豚にでも恋に落ちるように矢を射たせる命令を出すが、誤ってその矢でキューピッドは自身の手を傷つけてしまう。息子とプシケーの結婚を許せず、怒ったヴィーナスがプシケーに無理難題を言いつける。という悪い姑なのだ。
これはただの絵本なのだが、やはり『神って一体···』と思ってしまう。
そこで神とは何なのか、Google先生に聞いてみた!
神とは
・宗教の教祖
・天皇
・人知を超えた力をもつ者
・またはそれを擬人化したもの
など、様々だった。
なるほど。3と4の場合なら合致がいく。美しさの象徴がヴィーナスであり神であり、ヴィーナスはそれだけの神なのだ。別に人間を破滅させようが意地悪しようが『美しさの神』なのだ。キューピッドもまた然り。
私の想像してた神は、全能で正しい存在であり、悪いことをしたら罰するのだと思っていた。が、ヴィーナスのような神も神なのだ。
まぁこれはギリシャ神話の神だから、結局人間が作り出したもので、『人知を超えた』存在ならば頭では考えられもしないのではないか。
もっと簡単に言えばワタシでも神になれる。自分で自分を信仰し、自称神と言ってしまえばワタシも神だ!お手軽である。
しかしお手軽な神はお手軽に神から人間に降ろされる。
やはり何かに長けてないと。もしくは人知を超えた能力がないと長続きしないのでは。
世の中『神』だらけなのだが、本物の神かどうかは『わからない』ということで、結局また『神って···』のスパイラルに陥って今日も眠れない。
観劇日記 体現帝国
体現帝国『授業』観劇
胡散臭い男達の合間をぬって黒カーテンを抜けると、ぼんやりの薄明かりの中に3人。
1人は天井から吊るされたロープに掴まり、膝で立っている黒服の男。
1人は貧乏なりにきちんとした服装をしてきました的な女の子が目隠しをして壁に寄りかかっている。
一際目を引くもう1人は椅子に座って片足を抱いている。髪はボサボサで半裸の身体中には無数の傷のような模様。
暗闇に映し出された3人がシンプルな舞台に際だっている。
会場に入った瞬間からわくわくする。絵をみているようだが絵ではなく、これから始まることへの少しの不安と、これに至るまで何があったのかという疑念が沸き上がる。
ポンっ!という音が合図だろうか、何度目かで女中が出てきて始まった。
青い髪に奇抜なメイク。当然のように客席に座る。
教授と生徒のやり取りで大量のセリフを話していたが、よく聞くと内容が面白い。教授は正論を言っているのに、生徒は理論を言って話が噛み合わない。女生徒が言うことは理に叶ってはいないが、一理くらいはあるかなと。
しかし4人目と女中が気になったので、大量のセリフは捨てて視覚に集中することに。
体現帝国というだけあり、4人目の身体能力にうっとり。
女中の仕草や表情にうっとり。
セリフよりも空気を伝えてくる表現力。
さて。
終盤、教授が女生徒を殺すとき。
女中がいても立ってもいられず、その様子を見にくる。その時の表情で全てわかった。妖艶な、欲まるだしの恍惚とした顔。思わず私も同じ表情になってしまい、そこで初めて気づく「女中は私なのだ」と。
女中が終始授業を覗いていたが、それは警告をするためではなく若い女が死ぬところを見たかったんだし、2人きりの授業で何が起こるのか見たかったのは私で。結局、覗いていたのは私だった。
やれ!と心のなかで期待して、生意気な生娘に教授がすることを好奇な目で覗いていたのは私自身だった。
悪夢の中にいて繰り返される悲劇。何度でも入りたくなる絵画。堕ちるには心地よく、後腐れなく戻ってこれるシンプルさ。
次作は打って変わって、愛のお話し。それにも期待して、待ってる。